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戦国武将達の経営運勢・・・◇織田信長
■いったい信長という人物は、何故戦国乱世に終止符をうつ事ができるようになったのでしょうか?
その答えを運命式に見てみましょう!
<織田信長の運命式>
31 23 32
26 40 14
35 17 22
詳しい鑑定は別の機会に譲ることにして、ここでは私達が一般的に抱いている信長という人物のイメージと彼がやり遂げた様々な出来事を、運命式の中から検討してみたいと思います。
●<織田信長に対して私達が抱いているであろうイメージ>
激しい、短気、極端、恐ろしい、わがまま、尾張のうつけ者、明智光秀をいじめた、桶狭間の奇跡的戦い、比叡山焼き討ち、将軍家追放、本能寺の変で焼死、 長篠の戦ではじめて鉄砲を軍事的に使用、 よくもまあ、一人の人物がこれだけハードなことをやってのけたなと感心することしきりなのです。まさに「下天のうちにくらぶれば、夢また幻の如くなり」
というわけです。
●<性格のイメージ>
激しい、短気、極端、恐ろしい、わがまま、尾張のうつけ者、こういうイメージは何が原動力となって生まれてきたのかというと、運命式を見てみればわかるように、信長が特殊な運命式を持っているからです。
愛情に対して非情に敏感で、常に自分が愛情を独占していなければならず、愛情の中心点にいなければならないのです。もし、自分が愛されていないことがわかるとそのエネルギーは、すさまじい反動となって相手に向けられるようになります。その反対に、自分に愛情が向けられて、愛されていることを実感していれば、どこまでもそれに応えようとして強い味方になるのです。
この愛情運が原動力となり、頑固さと戦略家とオーガナイザーと3つの顔を持つ人になるのです。
ですから信長という人は、わからない人であり、激しい人であり、魅力的な人であるのです。
●<尾張のうつけは偽装戦術>
当時の織田家中は、織田信秀亡き後ふたをしていた重石が取れて、何が起こっても不思議でない状況にありました。そんな中で、尾張一国をまとめるには、早く膿を出すのがよいということで、馬鹿を装うことにしたのです。ここには激しい戦略家信長の顔がよく現れています。
●<桶狭間の戦いは天佑か?>
偶然か奇跡か、たまたま運がよくて二千人の軍隊が、三万人とも五万人ともいわれる軍隊を破っちゃった。というのが桶狭間の戦いではないのです。如何に小兵力で、大兵力の軍隊を破るか?そのための戦略と戦術を駆使した戦いであったのです。
最初から今川義元の首だけを狙う、しかも、如何に実働兵力を最小限に抑えるかという計算をしっかりとしているのです。
この戦いで彼は、桶狭間にて義元が休息中という情報を届けた武将を戦功第一に挙げています。これなどは、情報という価値を初めて評価した武将ではなかったかと思います。
●<長篠の戦は、アイデアマンの面目躍如>
この当時、鉄砲というものは近代的な武器であったけれど、面倒な武器でもあったのです。それは、一発撃つと次の準備にものすごく時間がかかり、武器としては軍隊で使うには問題が多すぎたのです。この鉄砲を軍隊で、戦略的に効果的に使うことを研究してきたのが信長であったのです。
最強の騎馬軍団を持つ武田軍に対して、弱小の歩兵部隊しか持たない織田軍団がどうして勝つか?このことに答えを出し、歴史上はじめて鉄砲の価値を世に知らしめたのが信長の長篠の戦であったのです。これなどは、アイデアマンの仕事運を持ち、戦略家でもある信長のなせる業といってよいでしょう!
●<人材発掘にたけた信長>
既成の概念に捕らわれず、家柄にこだわらず、有能な人材を発掘できたのは何故でしょうか?一つは尾張の軍隊が弱かったということ。これを強くするためには有能な指導者が必要であったという事情もありますが、何よりも彼の人気運は、目的と能力にあった人間関係を結ぶという特徴があるのです。彼の特殊な運命式には、家柄など虚飾は何の役にも立たず、目的に合った能力こそすべてと考えても不思議ではないでしょう!
●<苛烈な信長はいつ頃から?>
信長の持つ特殊な運命式がいつ頃から狂い始めたのか?これは信長の精神が異常な緊張と、執拗なまでの追求と、冷酷な仕打ちはどうして行われるようになったのか?ということです。(信長様は変わってしまわれたのじゃ!)
それは、早くに父を亡くし、誰も理解者がなく、周囲が皆敵のような環境圏で、極端に愛情に敏感でありながら、愛情を受けることができなかった信長が唯一心を許し、その愛情を享受できたのが生駒の方という女性でありました。
この女性が信長の心をつないでいる間はよかったのですが、この女性が死んでしまいます。
このあたりから信長の精神がゆがんでくるようになったのです。
彼の特殊な運命式ををつなぎとめておくことは大変です。
●<明智光秀は何故いじめられたか?>
彼は能力ある有能な人でしたが、自分に自信があり、尚且つ思い込み型の人でしたから、その辺の所が信長の心情と目的からずれてしまうことが多かったのだと思います。その例がよく題材にされる、徳川家康のに対する接待を命じられた時の出来事であるといわれます。当時の信長にとってみれば、徳川家康がどれほど重要な存在であったかは、その戦略性からみても明らかなのです。
それを、彼は家康を研究して接待したのではなく、自分の知識と自分の伝統的な価値観から接待をしたのではないかと思います。これは接待の基本である「その人の為」を忘れてしまっているので信長は激怒したのであると思います。
もちろん性格的に互いに相容れない要素はありましたでしょう。そういうことが随所にあったからなのだと考えられます。
●<将軍家追放、比叡山焼き討ちなど神仏を恐れぬ行為は?>
こんな人は歴史上いなかったというほどのことをやってのけたのが信長です。 比叡山の伽藍という伽藍を焼き滅ぼし、坊主を殺戮し、神仏に敵対したのです。
これは信長にも理屈はあったのです。この当時の比叡山は堕落しきっており( 立派な人もいたが)女人禁制のはずのお山に女性を囲う坊主がいて、どうにも ならない状態でした。
信長は天に代わって粛清したのです。でも、これは表向きの理由で、本当のところ信長は、自分に刃向かう者を絶対に許しておけなかったからなのです。自分に敵対するものは殲滅する。これは愛情の裏返しの憎悪の哲学なのです。ここには許しも慈悲も愛もないのです。
愛を求めた信長が、結局たどり着いた彼岸は憎悪という心の地獄であったので す。
将軍を辞めるために生まれてきた将軍、足利義昭も信長の軍事力で将軍にしてもらった時は、自分の父親のようだと絶賛しながら、自分がただの傀儡だとわかると、比叡山他全国の武将達と手を結び反信長包囲網を作ろうとしたのですから、信長からしてみれば、治安と秩序維持のために必要であったから置いていただけなのに、役に立たなくなればポイするのは当然でしょう。
殺されなかっただけましと考えるほかありません。信長を見抜けなかったのも最後の将軍義昭の運命の炎が尽きた証拠であります。
●<憎悪は憎悪によって滅びる>
結局信長の苛烈なる運命式のエネルギーは、日本の大変革を成し遂げました。しかし、その動機は、憎悪という彼一流の哲学から出発したものに他なりません。
愛は愛を増幅しますが、憎悪ももっと憎しみを増大させるのです。憎悪によって得た栄華は、本能寺で明智光秀の憎悪の野心によって滅ぼされてしまいました。
そして、その明智光秀も動機が憎悪である以上、多くの武将からも民衆からも支持されなく滅んで行ったのです。
結局残るのは、ろうそくのように自らを燃やして周囲を照らす、誠の灯火ではないでしょうか?
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